2015年5月12日火曜日

twitterやめた

いや、やめる気で辞めたわけではないんですが。
店の開店時の落ち着いたときと閉店時に打ってたんです。宣伝と発散の為、数ヶ月か1年位?

書き込み忘れたり、書くことねーやって思って何日か辞めたら、徐々に体の内から開放感が湧き上がってきて(単純に春だったから?)でそのまま辞めてます。新しい商品できたときだけUPしてます。

そこで色々考えたんですよ。
つぶやきなんてしょうもなさそうなことにも知らん間に束縛支配されているから、ちょっとの開放感がでてくる訳やから、もっと知らん間に束縛支配されている気づかないことってあるんや、と思ったんです。つーことは普段からやっていることをちょっと変えてみるとなんか味わえるんでは?
 でもさらに考えると開放感を味わうには束縛支配がなければ味わえないわけですよね?死を目前にして生を感じますよね?それと同じで実は束縛支配されなきゃ分かんない事ですね。だからあえて束縛支配されてみれば開放感あり。でも期間限定でしないと束縛支配の中にいると気づかない可能性がある、だから気をつけないと。約束された束縛と開放。生と死。緊張と緩和。
 でも開放されると分かってると開放感は薄れるよね・・・。


あと1個
交差点に看板置いてるんですけど、やめたろかな、て思っています。
これも束縛?つーか、朝晩回収めんどくさいだけ?
雨の日置かなくて良いからちょっとうれしい位。

いやいやなんのこれしき。
いやいや好きにやってんだからやめちゃえよ?
これ見て店にくる人や差し込んでるフライヤーでネット見てくれる人もいるんやで?
期間限定やめる?
宣伝しない→誰も知らない→売れない→廃業?
めんどくさいめんどくさい病?

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